2007年 09月 06日
コテ絵の前からとうとうへび道へ・・・ へび道は藍染川を暗渠にして作られた道。 だからくねくね、くねくねと・・・・。 鋭角気味に曲がってたりします。 道端には乗り上げた車が塀に突っ込んだりしないよう 注意を惹くように、大きな石が置かれています。邪魔です。 へび道を抜けたところにある 団子坂 菊見せんべい総本店へ。 この日は35℃を超える猛暑日だったのだが、 折角なのでせんべいを一枚購入、その場で食べた。 物凄く、喉が渇いた。 日も傾いてきたし、そろそろ帰ろかな。 ※CASTANEAさんの谷中講義^^---------------------------------------------- 菊見せんべい。なぜ四角か? 創業者が易者に占ってもらったら「四角にせよ」とのお告げ。 生地に無駄が出ないように見えるが、角が欠けやすく、ロスが多いそうです。 明治八年創業の老舗。今はなき団子坂の菊人形の土産にと命名。 ここまでが団子坂で、道は旧藍染川枇杷橋跡から三崎坂へと名を変え、上ってゆきます。 -------------------------------------------------------------------------------- ※CASTANEAさんの谷中講義^^---------------------------------------------- 「藍染川」其の壱です。 初めて「へび道」に足を踏み入れた人は、その名の通りに蛇が痙攣したような道筋に驚き戸惑う。 そして、歩いて来た道を確かめるように開いた地図で、この曲がりくねった細い道が、 文京区と台東区の区界と知って、再び驚くのである。 十三曲がりとも十五曲がりとも言われるへび道は、旧藍染川の跡である。 この川は、駒込の染井霊園西側に端を発し、谷田川、藍染川、忍川と名を変えながら山の手の台地の下、 谷あいの田んぼの中を流れ、不忍池を過ぎて、最後は隅田川に注ぎ込んでいた。 明治の頃までは、水は澄んで、シジミが取れ、蛍が飛び交い、紺屋が反物を晒せる清流だったという。 染め上がった布を川に晒すと、水は淡く藍色に染まった。藍染川という名の由来と言われる。 今も、へび道を抜けて藍染大通りを越したところに「丁字屋」さんという染物屋が残っている。 明治前半の頃の写真を見ると、あたりは一面の田んぼや畑で、その中を、この川がのんびりと流れている。 この風景を見ると、川筋が区界となったのが当然と頷ける。 あたりが開けるに連れて、清流は大ドブと呼ばれるまでに汚れた。 鴎外の「雁」には「お歯黒のような..」と描かれている。 町は大ドブの度重なる氾濫に手を焼き、震災後、ついに川は暗渠となった。 藍染川は、今もへび道の下を流れている。 今、藍染川は当時とは逆に流れているのだそうだ。 ポンプで下流の不忍池方向から圧送し、水は三崎坂上と道灌山下の二ヶ所から、 三河島の汚水処理場へ送られているとのこと。 次回は藍染川をさかのぼってみよう。 --------------------------------------------------------------------------------
by 23dt
| 2007-09-06 00:15
| 色々と・・・
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